棚田ネットワークは、棚田の支援をとおして、都市と農村の人々が相互に理解し、協力し合える循環型社会の創造を目指す団体です

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棚田保全への動き

棚田保全への動き

1970年代からの棚田の放棄の深刻化

平坦地の水田に比べて棚田は「労力は2倍、収量は半分」といわれます。労働・土地生産性の低さから、米余りによる生産調整(減反政策)が始まった1970年以来、棚田の転作・放棄がみられるようになりました。当初は、農水省のスギの植林政策で主にスギ山へと転換を促されました。その後、棚田地域では過疎・高齢化が一段とすすみ、耕作の担い手ばかりではなく住民そのものがいなくなり、棚田の耕作放棄の深刻化は止まらず集落そのものも小規模・高齢者集落(限界集落)となり消滅の危機が問題となり始めました。

棚田の放棄率

 

1995年の棚田復興運動の始まり(棚田ルネッサンス)

棚田がどんどん荒れていく状況をなんとかしようと、1995年6月に新潟県松之山町(現十日町市)で「たんぼシンポジウム」が開かれ、全国から420名の人が集まり、棚田を残すための方策について熱心な討議が行われました。また、9月には高知県梼原町で「第1回全国棚田(千枚田)サミット」が行われ、棚田関係者をはじめ市民や研究者など1200人以上が参加しました。そして、NPO法人棚田ネットワークの前身団体「棚田市民支援ネットワーク」が設立されのもこの年の12月です。棚田を主題にした写真集が相次いで出版されるなど、棚田保全への社会的意識が高まったこの1995年は棚田保全史におけるルネッサンスと位置付けられています。

【1995年を前後して出版された写真集】

1994年:イギリス人写真家ジョニー・ハイマスの松之山町を撮った「たんぼ」
1995年:今森光彦の琵琶湖における棚田のある村里(大津市仰木)の風景を撮った「里山物語」
1996年:ふるきゃらネットワークが全国棚田サミット・写真コンテストに寄せられた作品を編集した「棚田」

 

棚田保全全国団体の設立

1995年の「全国棚田(千枚田)サミット」の開催とともに発足した「全国棚田(千枚田)連絡協議会」、同年に発足した「棚田市民支援ネットワーク(後のNPO法人棚田ネットワーク)」、1999年に発足した「棚田学会」は、棚田全国組織3団体と言われ、後の全国の棚田保全への広まりに大きな影響を与えました。

全国棚田(千枚田)連絡協議会 全国棚田(千枚田)連絡協議会(1995.9)
棚田(千枚田)を有する市町村、各種団体及び個人が、棚田を通してネットワーク化を図る組織として、会員の主体的な参加を通じて、地域の活性化を図ることを目的として1995年に設立されました。主に、毎年1回開催される「全国棚田(千枚田)サミット」を主催しています。
http://www.yukidaruma.or.jp/tanada/ 
NPO法人棚田ネットワーク(1995.12)
棚田の荒廃に危機感を感じた都市住民が中心になり、1995年に「棚田支援市民ネットワーク」の名称で活動を開始した市民団体。2002年に「棚田ネットワーク」としてNPO法人化し、主に都市住民と棚田地域をつなげるネットワーク作りや、都市での棚田の窓口として広範囲な保全プロジェクトを提案しています。
http://www.tanada.or.jp/ 
棚田学会 棚田学会(1999.8)
「棚田」の歴史やそれを取り巻く民俗、地理的環境とそれに対する人々の工夫や技術などの実態を明らかにし、生態学や経済学、農業土木学や、農政学などの成果をあわせて、「棚田」の現代的意義の解明と「棚田」の継承に向けて各方面の英知と熱意が集まる場として、1999年に設立されました。
http://tanadagakkai.com/